Friday 12 April 2013

こころの友

アイ・スミラー
 
『こころの友』というのは古い歌で、五輪真弓が歌った日本のポップスソングです。私は8歳の頃、この曲を初めて聞いて、とても気に入りました。しかし、日本語が全然分からなかったので、歌詞は全然聞き取れませんでした。私が歌えたのは「あなたから苦しみを奪えたその時」という歌詞の触りの部分だけでした。その時、日本語が分かればいいだろうなと思いました。この曲を全部覚えるし、意味も分かるからです。それに、ユニークなひらがな・カタカナ・漢字という日本語の文字も読みたかったのです。そういうことで、私は日本語に興味を持ち始めました。
中学生の時、「TVRI」というインドネシアのテレビ局が「Oshin」というドラマを放送しました。このドラマはとても流行って、みんな夢中になりました。これは私と両親のお気に入りのテレビ番組になりました。今でも多くのインドネシア人の記憶に残っていると思います。インドネシア人は「日本」というと、「桜の国」と言う以外に「Oshinの国」とも言います。私が日本へ来る前に、お隣さんが「Oshinによろしくね」と言ってくれました。
私はこのテレビドラマを見て、日本語にもっと興味を持つようになりました。そして、日本に行ければいいだろうなと思いましたが、お金がないので無理だと思いました。奨学金をもらえば行けるのですが、競争が激しくてもらえる可能性がほとんどなかったのです。
私はそう思ってはいても、日本語の勉強をあきらめませんでした。高校2年生の時、日本語を勉強し始めました。私は一生懸命勉強して、少しだけ日本語ができるようになり、とても嬉しく思いました。
1994年に高校を卒業しましたが、大学で日本語を専門としてもっと深く勉強しようと思い、国立大学の入学試験を受けました。しかし、不合格でした。私はとてもがっかりしました。それで、私立の外国語大学に入りたかったのですが、私立大学の学費は国立大学よりずっと高いので、両親に行かせてもらえませんでした。
インドネシアでは国立大学の入学試験を受けるチャンスは3回あります。例えば、高校を卒業してすぐの試験に不合格だったら、その次の年にまた受けられます。そして、また不合格だったら、最後のチャンスで3年目の試験を受けられます。
私は一年間、次の入学試験を受けるまで家の近くでイスラムのことを教えていました。夜は日本語を少し復習したり、自分で入学試験をうける準備をしたりしました。神様にもよく祈っていました。そして、1995年にもう一度入学試験を受けて、めでたく合格し、バンドン教育大学日本語教育プログラムに入学しました。
大学で初めて日本人との流行がありました。それは私の大好きな女の先生でした。先生は美人で優しい方でした。学生たちは皆憧れていました。私が、大学2年の時に、文部省の奨学金で日本に1年間留学しようと、日本大使館で行われた試験を受けました。しかし落ちてしまいました。
その翌年、また受けましたが、やはり不合格でした。2回も失敗して、とてもがっかりしました。日本に行く夢はかなわないかと思いました。しかし、試験を受けるチャンスはまだあるので、もっとがんばろうと思いました。あきらめないでもう一度試験を受けて、大学4年の時にやっと合格しました。私の努力が実りました。そして、1年間広島大学留学センターで学ぶことになり、日本に来ました。
私は1999104日に日本に来て、アパートを借り、日本での生活が始まりました。日本人だけではなく、いろいろな国からきた人と友達になれて嬉しく思っています。
インドネシアにいた時、日本に行ったら、ぜひ桜の花を見たり、お寺や神社など、日本の伝統的な文化のある所へ行ったりスキーに行ったりしたいと思いました。今、それらの夢は全部かないました。冬になると、インドネシアでは雪が降らないので、初めて雪を見てとても感動しました。そして、スキーにも行きました。
春には長い休みを利用して、名古屋と京都へ旅行してきました。名古屋城や金閣寺など、日本の伝統的な建物を見に行きました。とても美しくて立派な建物でした。春にもお花見をしましたが、話に聞いたとおり美しかったです。春には花がいっぱい咲いて、すがすがしい気持ちになりました。
今は『こころの友』だけではなく、ほかの曲も歌えるようになりました。そして、新しい夢もできました。帰国して日本語の教師になり、自分が教える日本語のコースも作りたいという夢です。

1 comment:

  1. この名言、ありがとうごあいます、先生。それは...なにか感じます¥¥

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